
生まれつきそれを気にするタイプと
あまり気にしないタイプに分かれるのは
なぜでしょう?
人も一見シンメトリーのように見えながら
実は微妙に違っているものなのに・・・


#142
ジャバ様はフレンチフライ
キャットウォークはハッシュドポテト
シドはマッシュポテト
私はスパニッシュオムレツ
当劇場ではポテトを多く食べます。
ふかし芋、ジャーマンポテト、肉じゃが・・
ポテト一つで
色々料理はございますが
カレーなどにも主役級で欠かせません。
それだけ、そろってポテト好きとなると
排出されるメタンガスも結構なものです。
煮豆や、納豆などの豆、穀物類でも
多く製造されますが
当劇場の主原料は
もっぱらポテトでございます。
さて、その大量に排出されるメタンガスですが
地下のガス室に溜め込まれ
劇場のエネルギーとして利用されております。
流浪の民であるタント劇場の
出現と消失の動力源なのです。
ガス室には
シャポンが運んでくれます。
各フロアー、各部屋にある通気孔を通って
シャポンはふあふあとガス室に運ばれていくのです。
製造されたメタンガスがシャボン玉に似た
形状で飛んでいく様は
メルヘンチックでさえあります。
たまにゴブリンがいたずらをして
シャポンを割ったりしますが
その直後に失神しております。
われわれのメタンガスは
強力なエネルギーであるゆえに
その香りも強力なのです。
でも、ゴブリンはもの覚えが悪いので
しばらくするとそのことを忘れて
ふあふあ飛ぶシャポンにひかれて
ついちょっかいを出してしまうのでしょう。
そんな時
掃き犬はじっと
息を止めているようでございます。
<支配人>
さてさて
みんながんばっているわけで
そのがんばり具合は
人によってちがうわけで
がんばっていないようで
実はがんばっている人も
がんばっているようで
実はがんばっていない人もいるのです。
結局、誰かにわかってもらおうとしても
本当の所は自分しかわからないわけで
がんばっているのか
がんばっていないのか
本当の所を自分はわかっているはずなのです。
さてさて、そんなこんなで
人はのらりくらりと生きる動物で
「なぜがんばれない?」と人をせめても
「なぜ自分はがんばらない?」と自分をせめても
そればかりじゃ生きていけません。
人生万事塞翁馬と言う故事がありますが
いいことも悪いことも順繰りにやってくるもの
と言うこの中国の訓話。
日本にもその類のものはたくさんありますが
えてして、幸福は短く、災いはながく語られます。
幸せな時間は一瞬ですぎ、つらい時間は永遠に感じる
そんな人間の感覚的な時間軸から来るのでしょう。
だったら、幸せは深く、災いは浅く思えるように
時間ではない感覚で味わいましょう。
そうすれば、楽しいこともつらいことも
両方あったからこそ
いい人生だったといつか思えるような
そんな気がいたします。
<支配人>


このところ
日の中、ずっと
ロエールが浮かんでおります。
ロエールは劇場の
生きたエアコンみたいなものですが、
ここのところの暑さのせいで
休むまもないようです。
そんな酷暑の午後
一人の中年の男が劇場にやってきました。
たぶん、外の暑さに耐えかねて
この劇場に逃げ込んできたのでしょう。
ロエールの程よい温度キープが物足りなくて
怒っていたのか、
自分の営業がうまくいかなくて
怒っていたのか、
とにかく、その男は不機嫌に
劇場で怒鳴り続けたのです。
「何だここの冷房は!!全然効いていないじゃないか!」
「もっと温度を下げろ!もっと強い風を出せ!!」
怒鳴っているだけなら良かったのですが、
その男は、八つ当たりで劇場の客席へ続く
内扉をけってしまったのです。
あれ以来、その男は
どこへかへ消えてしまいました。
当劇場の扉は開演にあわせて
私どもが開け閉めしますので
お客様が触れることはめったにございません。
でも、この扉は人がノックすると
そのときの気持ちのままの場所へ
連れて行ってくれる扉なのです。
暑さに駆られ、怒りのままに
扉をけった男の気持ちを
この扉はなんととらえたのでしょう・・・
高原の避暑地にでも
飛ばしてくれたのならいいのですが、
北極あたりですと、あの軽装では
無事でいられるかどうか・・・
怒りにまかせた行動は
リスクの大きいものでございます。
<支配人>

朝の澄んだ空気
プエルトリコの朝
ワイキキの朝
石垣島の朝
箱根の朝
南の島の朝も
山間部の朝も
朝は気持ちが澄む
多くの人がまだ眠り
早起きの動物だけの気配がある時間
昨日までの猥雑な空気をリセットして
もう一度白い地図にむかうとき
それは夢の世界のはじまりのよう
テラスにコーヒーを運ぶ従業員も
まだいない
プールには昨日の騒ぎの余韻が
けだるく波をうっている
日差しが変わると見えかたも変わる
早朝の日差しに隠れていたものが
傍若無人な日差しに変わると
じわっと浮かび上がってくる
夢の世界から
現実に引き戻される瞬間のように
ときにはスローな感覚で
ときにはこみ上げる涙のように
朝の澄んだ空気が
幻のように消えてしまう前に
気がつかなければいけないことが
きっとあるのだろう
<支配人>
犬も毛を刈る八十八夜〜
夏場は日差しが強く
路面の温度も上昇して
かなりの高温になるので
日中に、犬の散歩をしている人は
見かけなくなります。
肉きゅうが焼けてしまいますからね。
その分
早朝の涼しい時間や、
夜の気温がさめた時間に
犬の散歩を多くみかけるようになります。
夏場に見かける犬たちは
普段より短めに
毛を刈り込んでもらっています。
雪やコンコ、あられやコンコで
庭をかけまわる彼らにとって、
冬の天然防寒着は邪魔なもの。
さっぱりと涼しげに刈り込まれた犬たち。
ときには、飼い主の愛情が深いあまり
まったく別の犬に変身してしまったような
ちょっと、気の毒なくらい刈り込まれた犬もいます。
それでも、皮膚呼吸の出来ない彼らの夏は厳しく
ちょっとの散歩でもはぁはぁしております。
うちの「掃き犬」もそろそろ散発の時期なのですが、
私がそのことを頭に浮かべただけで
察知してどこかに消えてしまいます。
バリカンがあまり好きではないようです。
<支配人>
劇場での観劇のおともとして
その昔は
「おせんにキャラメル〜」と
お煎餅とキャラメルなんぞがございましたが、
近年の定番はポップコーンでしょうか。
アツアツの出来たてに、軽く塩をふって
溶かしバターをかけたものはたまりません。
キャラメルソースとからめた
甘いポップコーンも
若い女性には人気のようです。
当劇場でも、ロビーの売店では
ポップコーンを置いてございます。
見た目や味はふつうのポップコーンですが
作り方が少々変わっております。
当劇場にのポップコーンは
やや大きめの水槽の中で作られます。
水は入っておりませんが、
その中には手のひらサイズの
小さめの羊と牛がおります。
正確には小さめの羊と牛ではないのですが、、
面倒なので、小さめの羊と牛と思ってください。
水槽のそこは、牧場のように牧草が生えており、
お客様のいないときは、その牧場で
のんびりと昼寝をしたり、草を食んでいる
小さめの羊と牛の姿が見られます。
お客様がポップコーンをご所望になりますと
羊がブルブルと身体を震わしだします。
しばらくするとその羊の毛の中から
次々とポップコーンがはじけ出してきます。
牧草地一面にポップコーンがはじけ飛ぶと
その上を牛が歩き回ります。
牛の乳からはアツアツの溶かしバターが
噴霧上になって出てきます。
牛の溶かしバター噴霧が終わると
これまた小さな犬が出てきて、
羊と牛を水槽の片隅のサクの中に追いやります。
3匹がサクの中に入ると同時に
一面のポップコーンは
竜巻のように上空に舞い上がり
水槽のよこの紙容器におさまり、
お客様に渡されます。
忙しい時は、柵と牧場を出たり入ったりで
羊と牛はヘトヘトです。
でも、ふだんはほとんど
のんびりと昼寝ばかりなので
彼らにとってはいい運動なのです。
ちなみに、出来上がったポップコーンには
牧草や小虫などが混じることはありませんので
安心して、お召し上がりください。
<支配人>
やくざの大親分を殺す。
そんな、夢をみました。
仁侠映画好きでも、
そういった業界と親しいわけでもないのですが、
突然そんな夢をみました。
夢の中でも、
まったくみゃくらくがなく
いきなり遭遇したその機会に
まさに、衝動的に
引き金を引いたのです。
結局、拳銃は不発で、
未遂に終わった上に、
なんだかコミカルな空気の中で
逃亡をするうちに目が覚めたのですが、
どうして引き金を引いたのか?
後で考えると、
恨みがあるわけでも
義務があるわけでも
愛があるわけでもありませんでした。
あの状況で、ドラマみたいに
引き金を引いてみたいという・・
ただそれだけの衝動だったような気がします。
果たして、今後
現実の人生の中で
殺人未遂とまでいかなくても
ここまで、大きなことを衝動で
やってしまう機会が来るのでしょうか・・・
楽しみのような
怖いような・・・
<支配人>
恥をかく。
大切なことです。
恥をかくことを恐れるあまり
前に進めなかったり
チャンスを逃したりするのよくあります。
恥をかくことは
自分の人生に汚点をつける反面
成長したり、向上したりすることでもあります。
恥をかくことによって
すねてしまったり、ひねてしまったりして
投げやりにさえならなけれいいのです。
「絶対、恥をかきそうだな・・」
とわかっている場合もあります。
そのときは、その程度によると思います。
想定の範囲内の恥の場合
たいした勉強にはなりません。
想定外の大きなインパクトを
ともなってこその恥修行なのです。
ときには、みずから恥の中に飛び込んでいくのも
いいでしょう。
そして、思いっきり恥をかきましょう。
失意と絶望の中から立ち上がるとき
一皮むけた自分に気がつくでしょう。
「恥ずかしいから・・出来ない・・」
「ほら、恥ずかしがらずにやってごらん」
こんな会話、後で聞いたら
恥ずかしいのは恥ずかしさを我慢したほうではなく
強要したほうなのですから・・
ささ、はずかしがらず、もっと大胆に!!
<支配人>
耳障りのいいことばかりいう
セールスには要注意です。
特に下半身に訴えてくるものは
慎重に検討しましょう。
「これでいいのだ!」
自分で納得し判断している言葉ですが、
よく考えると、この言葉の裏には
「これでいいのか?」
という、逆の意味も含まれています。
本当にこれでいいのかどうか?
迷っているからこその
「これでいいのだ!」発言になるわけで、
本当に迷いもせず当たり前のことのように
思っていれば、わざわざ口にすることもなく、
人から指摘されるまで気付かないでしょう。
本当にこれでいいかどうかは
自分ではなかなか判断できないものです。
他の人間から
「それでいいんだ!」と言われ
「それでいいのか。」と安心できるのです。
つまり、「これでいいのだ!」には
「あっているかどうかわからない」けど
「俺はこれでいいと決めた」という宣言であって
本当にいいことなのかどうかはわからないままなのです。
しかし、何がいいのか本当の事は誰にもわからないのが
真理でもあるのです。
だとすると、世の中は誰かが宣言したことで
動いているといっていいでしょう。
バカボンのパパはバカですが、世の中を動かしているのです。
ギャグ漫画の一言で人間の真理をついた
偉大なる才能に敬意を表します。合掌。
<支配人>
プロというジャンルがあります。
むかしは、プロ野球ぐらいしか
なじみのない言葉でしたが、
最近は何かとプロでございます。
プロである以上・・
プロとして・・
プロらしく・・
それが、プロというもの。
こんなこっ恥ずかしい会話を
日常で普通に聞いたりします。
プロという響きには
専門職としてお金をかせいでいる
と言うイメージ以外にもう少し
華やかで、誇らしい響きがあります。
そして、その会社にも
偶然入れたような状況でもあるにもかかわらず
いつしか、○○のプロなどといったりします。
営業のプロとしてとか
接客のプロとしてとか
いや、みんなそうだからみたいな・・・
聞いている側が恥ずかしくなります。
このプロという言葉を使うハードルを
下げた要因の一つとして
商品名があるのではないかと
私は考えております。
男好きしそうな電化製品などに
プロ仕様とか、○○プロ、
プロエディションなんてつくじゃないですか?
あれですよ。
玄人っぽさにあこがれる
男心をくすぐるのです。
お金をだせば簡単に手にはいる
プロの称号が
いつのまに自然になってしまったのです。
まぁ、スーパーの肩書きに
プロの店なんてのがつきだした頃に
気付くべきだったでしょうね。
プロプロという人ほど
信用できなくなっております。
<支配人>

カミナリが多いです。
一昔前の記憶では
カミナリがなって、サッっと夕立になり
ヒグラシの鳴く雨上がり
というのが定番だったような・・・
昼間でも、夜中でも、
しかも長時間、ゴロゴロやっています。
中国あたりでは人工的に雨を降らせる
実験が進んでいるようですが、
もしかしてその影響では?
などとかんぐってしまいます。
雪が降り、
街の汚いものをかくしてくれるのは
一瞬の世界の浄化を感じます。
大雨がふり
大量の雨が街中を流れる時も
一瞬の街の浄化を感じます。
稲妻が走り、雨雲が光ると
空気中の悪い電磁波を
吸い取ってくれたような気分になり、
一瞬の大気の浄化を感じます。
街も空気も、勝手に人が汚したものを
自然の力できれいにしてもらうなんて
都合のいい妄想なのですが、
都市部に住んでいると
自然の力で何とかして欲しいと思うほど
汚れた部分が目立つのかもしれません。
いにしえのバベルの塔伝説のように
今に神の怒りに触れ
世界中の高層ビルが
強力な落雷を受けて崩壊する
そんな、SF映画が作れそうです。
<支配人>
英語のリスニングのコツはGuessだといいます。
前の会話から注意深く次に語られることを
予想する力が大切と言うことでしょう。
日本語でも単語だけからの判断は危険なようです。
「不思議の国のアリス」は
最強のファンタジー作品ですが、
世界的な普及はディズニーによる
アニメ映画の貢献が大きいと思います。
「ロード・オブ・ザ・リング」も
「指輪物語」として広く親しまれた物語でしたが、
近年の映画化によるメジャー化は否定できません。
古い時代の物語がときを超えて
いろいろな形で作品化され
それが新しい時代の人に受け入れられるのは
やはり、原作の持っている魅力が
無二のすばらしさを持っているからでしょう。
エロだ妄想だと騒いでおりますが、
当劇場で生まれる作品も
いつの日か、
時代を超えて親しまれるような
物語になれたらと
大きな夢を持っております。
夢が夢で終わらないように
向上の努力も大切ですが
まずは、続けること。
そこから見えてくることが
きっとあると思うのです。
<支配人>